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[荒井学長通信No.10] ペルソナ

何とはなしにテレビを見ていたら、小学生と思われる都会の子どもたちが、絶海の孤島でこれから1週間ほど、自給自足の生活をしようという場面が映っていた。夕日が西の海の彼方に傾こうとしていた。10数人ほどの子どもたちが、海辺の砂浜に、丸い大きな輪を作って座っていた。初顔合わせで、これからお互いに自己紹介をして関係づくりをしようという、そんな場面だった。ところが、1人だけ、その丸い輪に入れない男の子がいた。聞けば、母親っ子で同じ子ども同士の付き合いをしたことがない、だからどうすればよいのか分からないと言う。すると、輪の中にいた1人の男の子がその子に向かって言った。「簡単だよ、バカになればいいんだよ!」と。子どもたちのみんなが頷きながら、輪に入れない子に親しいまなざしを向けていた。その後、ほどなく、その子も輪の中でいっしょに笑い合っている光景が画面に映し出されていた。

私にとって、それはとても興味深い場面だった。「バカになる」。それこそ、ユングの「ペルソナ」論なのだ。
荒井学長通信No.10
「わたし」という人格、人柄を英語でpersonという。職場での愛想のよい「わたし」、家庭での愛想のない「わたし」、……。ユングによれば、このpersonはラテン語のpersona(ペルソナ)から由来している。「ペルソナ」とは、古代ギリシア・ローマ時代に俳優が劇を演ずるときにかぶる「仮面」のことをいう。
荒井学長通信No.10
「人間がこの世に生きてゆくためには、その人の役割にふさわしい在り方を身につけていなくてはならない。……教師は教師らしく、父親は父親らしく行動することが期待されている。いわば、人間は外界に向けて見せるべき自分の仮面を必要とするわけであり、それが、ユングの言うペルソナなのである。」(河合隼雄『無意識の構造』)

幼かった子どもの頃、母親といっしょに買い物に出た記憶が私にもある。その道すがら、母親が自分の知らない人に出会ったりすると、幼い自分はこっそりと母親の後ろに隠れたものだった。それは、見知らぬ人に接するときのペルソナが自分にはないから、ペルソナが未熟だったからだ。
孤島でのやりとりも、着けるべき「ペルソナ」がないことを吐露している。それは、「バカ」というペルソナを着けることで、とりあえず初対面の人たちとの関係づくりを始めようというやりとりだ。

小学生、中学生、高校生、大学生、そして社会人へと、人は成長してゆく。その成長とは「ペルソナ」づくりのことだと言ってよいかもしれない。私たちは、人生の前半で、悪戦苦闘しながら「ペルソナ」づくりをしている。「男の子」のペルソナ、「女の子」のペルソナ。そして、クラスの「リーダー」になれば、「リーダー」としてのペルソナを身に着けなければならない。

友達の結婚式に行こうとしてスーツに着替えようとするが、自分に合った服が見つからないという夢を青年時代に見たことがある。ペルソナが夢のなかにあらわれるときは、衣服や仮面、靴の形をしてあらわれてくる。

「ペルソナ」とは、「わたし」という個性・人格・身分・素性・性格をあらわす社会的なレッテル(イメージ)なのだ。しかも、付け替え可能な仮面なのだ。

私たちは無意識のうちに「仮面」を付け替えている。学校あるいは職場にいるときの「わたし」は、家にいるときの「わたし」とは違う。学校にいるときの「わたし」でも、友人に対するときの「わたし」、異性に対するときの「わたし」、先生に対するときの「わたし」は、それぞれ違っている。私たちは、その場その場に合わせて、無意識的に「ペルソナ」のスイッチを切り換えている。

大学の「人間学」の授業でユングの「ペルソナ」論を紹介すると、学生たちは感慨深いレポートを書いてくる。その1つを紹介しよう。

「私は、高校生の頃、母と私と担任の先生とで行う「三者面談」が嫌いだった。……それは、ペルソナとペルソナが混ざり合って私の中で格闘していたからだ。その2つのペルソナとは、家にいるときの自分と、学校で生活しているときの自分である。家にいるときの自分は、親に頼り、ダラダラしていて何か頼みごとをされてもなかなか動こうとはしなかった。……一方で、学校では、先生に頼まれごとをされたときにはすぐに行動に移し、自分の役割や当番などを怠けずにきっちりと行う自分がいた。そんな正反対のペルソナとペルソナが、私の中でぶつかり合っていた。……三者面談のとき、母と私と先生が、同じ机で、私の進路や私の学校生活について話し合うのだ。ペルソナとペルソナが真っ向からぶつかり合い葛藤する。私はどちらの自分で振る舞えばよいのかわからなかった。……まるで、引き出しの中から両方に適応できる仮面を手探りで探すようだった。それがとても辛かった。だから、そんな三者面談が、私は嫌いだった。」

長い人生のなかで、時としてペルソナを喪失することがある。新しい環境への転校・進学・引っ越し、あるいは不治の病気、失恋、失業、人生の絶望……。自己喪失や人生崩壊をきたすほどの危機的状況に見まわれるとき、ひとはペルソナを失う。次のレポートはその貴重な経験だ。
荒井学長通信No.10
「私は中学生のときに(ある大きな事故のために)長期入院を経験した。全身が四肢麻痺になり動かせなくなり、自分の存在そのものが絶望でしかなかった。そのとき、今までの人間関係がすべて消えた感覚になり、ペルソナが自分の中から消えていった。……「なんで自分だけがこんな目に遭うのか?」……私は、自分に気をつかってくれる看護師に対しても、動かない手足を治そうとしてくれる作業療法士・理学療法士の方々に対しても、お見舞いに来てくれた友達に対しても、何の感情も抱けなくなっていた。……そのときに、人生で初めて、心の底から自分と向き合おうとした。「何がしたくて生きていたのか?」、「自分はどこにいるのか?」……長期間のリハビリのかいあって、麻痺は奇跡的に回復していった。その中で、自分が今まで以上に人との関わりを大切にできる人間になっていた。仮面だらけだった自分が、誰に対しても対等にコミュニケーションをとれ、人に対して心の底から敬うことができて、とても嬉しかった。」
鳥取看護大学
学長 荒井 優
(2023年11月20日掲載)

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