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[荒井学長通信No.7] 因幡の白うさぎ

荒井学長通信No.7
明けましておめでとうございます。今年は卯(うさぎ)年です。「うさぎ」といえば、鳥取県に住む人はすぐに「因幡の白うさぎ」を思い浮かべます。『古事記』に出てくる、あのお話です。近ごろは多くの人たちが、白兎海岸の白兎神社にお参りしていますね。

隠岐の島にいたウサギが、気多の岬へ移りたくて、ワニを騙すお話です。「私とお前とどちらが多いか比べてみないか?」島から岬までワニが一列にならび、その上をウサギが飛び越えながら数を数えます。最後に渡り終えようとする時、「お前を騙したのだよ」とつい口を滑らせたがために、一番端にいたワニ(山陰地方ではサメのことを「ワニ」と呼びます)がウサギを捕らえて丸裸にしていまします。そこへ通りかかった大国主の命が毛のない白(素)うさぎに傷の治療法を教えて救ってあげたというお話です。

このお話それ自体は、出雲の国の王となる若き大国主の人物像をよく表していると思います。大国主は、出雲の国を切り開いたスサノヲのように、悪い者をこらしめる武人ではありません。むしろ、山の裾野にため池を作って田畑を開拓したり、傷ついた人に薬草や医療をほどこしたりする、研究肌の知恵者でした。これはこれで、小中学生にも大変に好まれるお話です。

私は『古事記』のこのお話を読むたびに、どことなく胸に引っかかるものを感じていました。この「ウサギ」と「ワニ」は何のことなのか? 私は歴史学が専門ではないので、その裏にどのような象徴的隠喩があるのか知りませんでした。

ところが、ひょんなことから、宇佐神宮の宇佐家に伝わる「口伝」という本があることを知りました。宇佐公康著『古伝が語る古代史-宇佐家伝承』。それは、それは、興味深い伝承なのです。

昔、因幡の国は豪族の出雲族が統治していて、その統治下にウサ(莬󠄁狭)族とワニ(和邇)族がいました。隠岐の島で漁をして生活していたウサ族が、農耕生活をするために本土に土地を求めて、ワニ族と取引をして騙そうとしました。しかし、結局失敗してしまいました。ウサ族は全財産を没収されて丸裸にされました。そこを通りかかった大国主がウサ族に助言します。「隠岐の島に残る全財産をワニ族にやってしまって、ウサ族にふさわしい新しい土地を本土に求めて、再起をはかりなさい。」こうして大国主の勧めにしたがって、ウサ族は隠岐の島を去って、大国主から与えられた八上(現在の八頭)の地に移住し開拓したのです。もちろん、大国主はウサ族の姫ヤガミヒメを娶り、1子をもうけました。その後、ウサ族は八上を拠点にして、山陽・北九州にまで勢力を広げ、発展していったそうです。

この記事を読んで、私はハッとしました。目からウロコが落ちる思いでした。「因幡の白うさぎ」は、古くから言い伝えられた氏族間の対立を背景とする物語なのかもしれません。もちろん、史実はわかりません。ただ、伝承が新たな視野と好奇心を与えてくれたことは確かです。
鳥取看護大学
学長 荒井 優
(2023年1月17日掲載)

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