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[近田学長通信vol.2] 傾聴 から Presence《そばにいること》への援助

臨地実習から戻ってきた学生に声をかけた。元気のない応答で「看護らしいことは何もできずに、実習を終えました。でも、実習最後日に患者さんに‘ありがとう。そばにいてくれて、とても助かったわ’と言われたのです。」と、淡々と語っていた。看護として傾聴に心がけて患者のそばにいることは、高度な形而上の概念であり、プロトコールも無く、学生にとっては確信の持てない状況に違いない。少し、以下にひもといてみたい。
人とかかわる職業では、人間関係・信頼関係の構築を大前提にして各職種ともに活動がなされる。看護職も同様であり、そのためにコミュニケーションやカウンセリングの技術が求められる。臨床の看護実践にあっては、何らかの苦痛を伴っている人と、かかわりの期間・時間が長いという特徴があるため、傾聴する力が問われてくる。
単に、耳で何かを聞く・質問に応答してもらうだけではない。傾聴とは、心を傾けて聴くことであるが、「耳」で言葉を聞き、「目」で非言語的な言葉をくみ取り、「心」で真意や感情に寄り添って受容的・共感的に受け止めること、と漢字が示している。すなわち、高度なカウセリング・スキルの1つである。
しかし、看護では、カウンセラーとクライエントによる相談援助というカウンセリングで使われる傾聴( active listening )の意味合いとは少し違うように思われる。どちらかと言えば、傾聴する力を発揮させながら、もう一歩進めたところで看護が成立すると思われる。ケアリング概念を看護として具体化させた、《そばにいること・寄り添うこと》へと発展するのではないだろうか。
確かに、英語のまま使われる Presenceという言葉の響きは、物理的に患者等の近くにいるように読みとれるが、その場のその瞬間だけではない。本質は心を向けて傾聴するとともに、同時に看護師の思いや心を、その人のそばに置くことではないだろうか。見守られている実感が相手に湧いたとき、そばにいるという看護が成り立っていると考える。言い換えて、寄り添う看護がなされていると言えるのだろう。
冒頭に戻って、単に傾聴に心がけた、そしてただ患者のそばにいただけでは看護は成立しない。しかし、学生は受け持ち患者としての出会いから、何か役に立ちたいと慰めたり・元気づけたり・受容的共感的な関わりに務めて、つき添っていたに違いない。看護学生定番の身体的援助としての清潔や移動の援助などに遭遇しなかったかもしれないが、少なくとも心理的相互作用による援助を実践することができたことになり、感謝の言葉になったと考えられる。
鳥取看護大学
学長 近田 敬子
(2019年7月22日掲載)

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