[山田学長通信No.1] 感謝しています
もうずいぶん以前になる。青春時代、京都の拙宅で開いていた読書会に参加してくれていた知人が訪ねてきた。五日市剛氏の講演会を鳥取で開催したい、協力して欲しいというのだ。当時、私は五日市氏のことを何も知らなかった。尋ねると愛知県の実業家でとても良い話をされると、彼の講演をまとめた書物を見せてくれた。タイトルは『ツキを呼ぶ魔法の言葉』と記されていた。なにか胡散臭い、嫌だなあと感じたが、とにかく読んでみた。面白かった。
よし、この内容ならと、鳥取市民会館を借り切っての講演会開催のお手伝いをした。有料の講演会であったが、知名度か、他所での講演の評判が良かったのか、広報が効果的だったのか、ホールは満席だった。
以下、講演の要点だ。五日市さん、青年時代どう生きるかと悩み、世界放浪の旅に出た。そして中東であるお婆さんに出会った。そのお婆さんに教えてもらったたった3つの言葉が、彼の人生を豊かにした。その言葉は、なんでもない日常的な言葉である。まず、「ありがとう」。私たちは日常的に有難いと感じたとき使っているが、彼の場合、嫌なこと、不幸なことが起ったときも「ありがとう」なのだ。何故か、嫌なことが生じたとき、「くそ」とか「馬鹿野郎」と怒鳴っていると、不幸が連鎖する。これに対して「ありがとう」という言葉は、その連鎖を断ち切るというのだ。こんな実体験が述べられていた。あるとき、五日市さんが車を運転していたら、後ろから玉突きされた。普通であれば、怒鳴りつけたいところだが、いつもこうした言葉の使い方を心掛けていた彼は、「ありがとう」と呟いた。何故か、「この程度でよかった」と思ったのだそうだ。そして落ち着いて当たった運転手と話をし、その後、交流が始まり、彼の結婚式に出席するまでになったという。では本当にありがたいときはどのように言うのか、「感謝しています」。そしていま一つの言葉は「ついている」。要は何事もプラスに捉えるということなのであろう。それは私たちが日常的に経験していることだ。雨降りだ。「嫌だなあ」と思うのか、「恵みの雨」と捉えるのか。野球チームで主力選手がケガをすれば「大変だ」で終わるのか、新たな選手が活躍するチャンスと捉えるのか。ケガをした本人は、大変なのか、自らのプレーを見直すチャンスと捉えるかでは、チームとしても、選手の生き方としても大きく変わる。
なぜこうした言葉に力があるのか。それは心の持ち方というが、心は言葉で考えている。言葉が爽やかに、前向きになれば、心のあり様も、前向きになる。心の変化が行動になる。行動が習慣化すれば人格になる。そうした人格に運がめぐってくる。
「ありがとう」、「感謝している」、「ついている」の言葉が出発点にある。
この視点から、私たちが日常的に口にする「忙しい」という言葉を考えてみると、忙しさが忙しさを加速度化し、疲弊感を助長している気がする。「忙しい」とは心を亡くすと書く。心を亡くさなければ忙しくは決してない。またこんなことも言われる。「忙しい」は、怠け者の言い訳。地域で、役員を決めるとき、急に皆が病気か、あるいは忙しくなる。新たに何かを始めるとき、「忙しい」が断りの決まり文句。「忙しい」という言葉が、人の心を後ろ向きにし、疲弊感を招き、自らを貶めているように感じる。
少子化が急速に進み、全国の大学、短期大学は学生が集まらず、毎年2桁の学校が閉校となっている。そのため職を失った先生方からの就職依頼の履歴書を立場上、受け取ることがある。そうした時代なのである。
この4月より、私は理事長と鳥取看護大学の学長をー理由は置くとしてー兼務することになった。理事長として仕事はそれなりにしていたと思う。加えて学長、どさっり、すべきことが多くなった。1カ月もすれば80歳になる。この年齢で、働けること、また新たな遣り甲斐のある仕事が舞い込んでくることに、「感謝しています」、「ついている」と言おう。
よし、この内容ならと、鳥取市民会館を借り切っての講演会開催のお手伝いをした。有料の講演会であったが、知名度か、他所での講演の評判が良かったのか、広報が効果的だったのか、ホールは満席だった。
以下、講演の要点だ。五日市さん、青年時代どう生きるかと悩み、世界放浪の旅に出た。そして中東であるお婆さんに出会った。そのお婆さんに教えてもらったたった3つの言葉が、彼の人生を豊かにした。その言葉は、なんでもない日常的な言葉である。まず、「ありがとう」。私たちは日常的に有難いと感じたとき使っているが、彼の場合、嫌なこと、不幸なことが起ったときも「ありがとう」なのだ。何故か、嫌なことが生じたとき、「くそ」とか「馬鹿野郎」と怒鳴っていると、不幸が連鎖する。これに対して「ありがとう」という言葉は、その連鎖を断ち切るというのだ。こんな実体験が述べられていた。あるとき、五日市さんが車を運転していたら、後ろから玉突きされた。普通であれば、怒鳴りつけたいところだが、いつもこうした言葉の使い方を心掛けていた彼は、「ありがとう」と呟いた。何故か、「この程度でよかった」と思ったのだそうだ。そして落ち着いて当たった運転手と話をし、その後、交流が始まり、彼の結婚式に出席するまでになったという。では本当にありがたいときはどのように言うのか、「感謝しています」。そしていま一つの言葉は「ついている」。要は何事もプラスに捉えるということなのであろう。それは私たちが日常的に経験していることだ。雨降りだ。「嫌だなあ」と思うのか、「恵みの雨」と捉えるのか。野球チームで主力選手がケガをすれば「大変だ」で終わるのか、新たな選手が活躍するチャンスと捉えるのか。ケガをした本人は、大変なのか、自らのプレーを見直すチャンスと捉えるかでは、チームとしても、選手の生き方としても大きく変わる。
なぜこうした言葉に力があるのか。それは心の持ち方というが、心は言葉で考えている。言葉が爽やかに、前向きになれば、心のあり様も、前向きになる。心の変化が行動になる。行動が習慣化すれば人格になる。そうした人格に運がめぐってくる。
「ありがとう」、「感謝している」、「ついている」の言葉が出発点にある。
この視点から、私たちが日常的に口にする「忙しい」という言葉を考えてみると、忙しさが忙しさを加速度化し、疲弊感を助長している気がする。「忙しい」とは心を亡くすと書く。心を亡くさなければ忙しくは決してない。またこんなことも言われる。「忙しい」は、怠け者の言い訳。地域で、役員を決めるとき、急に皆が病気か、あるいは忙しくなる。新たに何かを始めるとき、「忙しい」が断りの決まり文句。「忙しい」という言葉が、人の心を後ろ向きにし、疲弊感を招き、自らを貶めているように感じる。
少子化が急速に進み、全国の大学、短期大学は学生が集まらず、毎年2桁の学校が閉校となっている。そのため職を失った先生方からの就職依頼の履歴書を立場上、受け取ることがある。そうした時代なのである。
この4月より、私は理事長と鳥取看護大学の学長をー理由は置くとしてー兼務することになった。理事長として仕事はそれなりにしていたと思う。加えて学長、どさっり、すべきことが多くなった。1カ月もすれば80歳になる。この年齢で、働けること、また新たな遣り甲斐のある仕事が舞い込んでくることに、「感謝しています」、「ついている」と言おう。

学校法人藤田学院 理事長
鳥取看護大学 学長
山田 修平
(2025年7月2日掲載)
鳥取看護大学 学長
山田 修平
(2025年7月2日掲載)
