トップページ > 学長の小部屋 > [荒井学長通信No.11] 恋の深層心理

[荒井学長通信No.11] 恋の深層心理

恋の深層心理
思春期から青春期にかけて、人は恋をします。いや、年をとってからも、こりずに恋をする人もいます。

人はなぜ恋をするのでしょうか? ときには身を焦がすほどの恋を? そして、夢のなかに現れる魅惑的な異性はいったい誰なのでしょう?

私の専門は哲学、それも宗教哲学です。心理学ではありません。しかし、専門外ですが、心理学からもずいぶんと多くのことを学んできました。深層心理学者の一人、カール・グスタフ・ユングからも、多くのことを学びました。ユングは、「ペルソナ」論を踏まえて、「恋とは何か」という問いに対して、興味深い学説をとなえています。
男性は一般に男らしいと言われているような属性をもったペルソナを身につけなければならない。彼は社会の期待に沿って、強くたくましく生きねばならない。そのとき、彼の女性的な面は無意識界に沈み、その内容が、アニマ像として人格化され、夢に出現してくると、ユングは考える。(河合隼雄『無意識の構造』)
男性の夢のなかに現れる魅惑的な女性を、ユングは「アニマ」と言います。そのアニマとは実は男性自身なのだ、とユングは言うのです。

幼い頃、「男の子は泣いてはいけない」「男は男らしくなければ」と、私も両親からよく言われたものでした。だから、「男らしくない」部分をむりやり抑え込んで、我慢していました。幼い頃の私は、「男らしくない」部分を切り捨てて、「男らしい」部分だけを自分の「ペルソナ」(自分らしさ=仮面)として選んだのです。しかし、切り捨てられた「男らしくない」部分は、私のなかから消えてなくなるのではなく、むしろ私のなかで抑圧されて無意識の深層へと沈潜していきます。そして、その「男らしくない」部分が、眠っている間に夢のなかで、異性の姿を借りて現れてくる、というのです。

ユングは、男性の夢のなかに出てくる「異性」を(ラテン語で)「アニマ anima」、女性の夢のなかに出てくる「異性」を「アニムス animus」と名づけます。夢のなかに現れてくる魅惑的な「異性」は、実は異性ではなく、性的に否定された自分自身の裏面なのだというのです。

ユングのこのアニマ・アニムス論は、私にとって衝撃的でした。この説を受け入れるのに、しばらくの月日を要しました。夢のなかに現れるあの美しい女性が私の裏側の自分だとは? そう簡単に受け入れられる話ではありませんでした。
恋の深層心理
恋は理屈ではありません。なぜ、その異性に惹かれるのか? なぜ他の異性ではだめなのか? 理由などありません。ひとえに、自分のなかの「心の異性」(アニマ)を投影できる異性に出会ったときに、私はその異性に恋をするのです。そして、相手と相思相愛になったとき、私は心の底から安らぎを得るのです。そのとき、分裂していた自分が一つになって、豊かな幸福感に満たされるでしょう。しかし、もしも、その相手を、死別や失恋で失うことがあると、私は大きな痛手を受けて、自己喪失をきたすでしょう。恋によって、自己を得ることもあれば、自己を失うこともあるのです。

ユングのアニマ・アニムス論の奥深さは、それだけではありません。異性をとおして自分のなかのアニマが成長し、それにともなって私の自我(ペルソナ)も成長する。アニマ・アニムスは、ペルソナが成長するように、人それぞれの人生遍歴にそって、ある成長を遂げていくのだというのです。
恋の深層心理
男性のなかのアニマ像は、①生物的アニマ、②ロマンティック・アニマ、③霊的アニマ、④叡知的アニマへと成長する。中学生から高校生の頃、男子は水着の女性、裸の女性といった、女性の裸体に心引かれます。「生物的アニマ」の段階です。高校生から大学生になる頃には、女性を人格的に敬愛し、恋愛の対象として意識するようになります。神秘的な妖精、美しく犯しがたい淑女に憧れます。この段階が「ロマンティック・アニマ」です。19世紀のヨーロッパに生まれたロマン派音楽はこの「ロマンティック・アニマ」を描いた音楽として隆盛したのです。
恋の深層心理
一方、女性のなかのアニムス像は、①力のアニムス、②行為のアニムス、③言葉のアニムス、④意味のアニムスへと成長します。「力のアニムス」はスポーツ選手に代表される肉体的な力強さをもつ男性像です。不良青年に憧れる思春期の少女もこの段階です。彼女は成長すると、「白馬の騎士」に代表される頼もしい男性、行動力のある男性に憧れるようになります。「行為のアニムス」の段階です。宝塚歌劇に登場する男装の麗人はこのアニムスにほかなりません。
河合隼雄『ユング心理学入門』(培風館)
河合隼雄『ユング心理学入門』(培風館)
私たち人間は、このようなアニマ・アニムスの成長をとおして、人生遍歴をとおして、やがて意識と無意識を合わせた心全体の中心にある「自己」(セルフ)自身へと近づいていこうとします。「自己」は無意識の奥深くに潜在する「私の根底」となるものです。ほかのすべての個人と普遍的につながっている「個」という意味で、「超個」(個を超えた個)と言ってもよいかもしれません。

ユングによれば、「自己」は、夢や昔話や神話において、老賢者、童児、石、宇宙樹、マンダラなどのイメージをもって現れるのだそうです。ユング心理学における「自己」実現は、きわめて宗教的な地平に近い、魂の救済を心理学的に解き明かそうとする宗教心理学的な探求だと言ってよいかもしれません。
鳥取看護大学
学長 荒井 優
(2025年1月●日掲載)

Facebook twitter



fixedImage
ページトップ